私のアルコール依存の経過と治癒 Vol.1

~アルコール依存症に気づくまで~

私の両親、親戚は付き合いでしかお酒を嗜むことがなく

私もアルコール依存症とは無縁だと思っていました。

 

小学生~中学生の頃、機能不全家族で、家庭内で緊張し

親の顔色を伺い学校では、目立たぬ普通の良い子を

演じなければならず、その葛藤と疲労で

中学1年くらいから、夜中に自動販売機へ(数十年前はまだ夜中に買えたのですよね)

こっそりと買いに行き、フタが開閉できるウィスキーボトルが売っていたので

それを買い、たまに(週1程度だったと思います)

隠れ飲みをして気を紛らわせていました。

 

高校に入ると、未成年にもかかわらず飲み会なども当たり前で

堂々と飲むようになりましたが友人たちがビールや焼酎を飲む傍らで

私は酔いたい気持からウィスキーなどのハードリカーばかり飲んでいました。

 

そのような中で拒食症や処方箋薬物依存症も持っていたので

食べずにアルコールと処方箋薬を流し込むような毎日でした。

10代20代はそれでもまだ体が保つんですね。

当時を振り返ると

その時点でもうアルコール依存症へ

まっしぐらだったことがよく分かります。

 

そして19~20歳の頃

自分自身の精神状態の悪化

体力の限界両親への恨みなどに苛まれ

今までに何度か自殺未遂をしましたが

 その経験から確実に死ぬ方法を考えて

今度こど完全に死のうと思い立ち

そこから「どうせ死ぬのだし

嫌なことばかりの日本では

死にたくないしもう自分は死んだと思って

好き放題なんでもしたらいいのでは?」

という考えが浮かび、子供の頃からなぜか

憧れていたアメリカのLAへ行こうと決めました。

 

着いた日から、働き始め(もちろん労働ビザはないので違法でしたが)

なぜかトントン拍子に生活が落ちつきました。

生まれて初めて自分自身を生きている幸せを感じ

 「普通の心身ともに元気な人は、こう感じて生きているから

死のうと思わないのかな。」などと目からウロコというか

初めてそのような生き方を知りました。

 

LA生活では、もちろん病院にかかっていないので

今までの処方薬もなく、摂食障害も、日本を離れるときに

空港のトイレで嘔吐していたのに、それを最後にいきなり治り

(今から思えば症状がなくなっただけなのですが)

心身ともに生まれて初めて健康的な生活を楽しんでいました。

死ぬ予定はなくなりました。

 

ですが、ナイトクラブと昼間の観光案内をしていて

従業員は皆車通勤なので飲酒は強制ではありませんが

私は飲みたかったので毎日アルコールを大量に飲んでいました。

もちろん、毎夜飲酒運転です。

1度だけLA市警の路肩に車を突っ込んでしまい

ポリスカー6台に日本のより大きな消防車1台に包囲され

ホールドアップで拘置所に入ったことはありますが

それ以外は大した事故も起こさず済んでいました。

 

しかし、その拘置所に入ってもちろん免停にもなった裁判があり

その日に前夜朝方まで友人から電話がかかってきて飲酒していたため

寝坊してしまい裁判まで30分しかなく慌てて

普通ならブラックコーヒーを飲んで出かけるところを

飲酒運転の裁判なのに大きなコップにウォッカをどぶどぶと注いで

一気飲みして出かけたのです。

 

ここまでイったら思いっきりアル中ですよね。

 

それ以外にも、昼間は前夜のお酒がまだ残っていて具合が悪く

観光案内中に飲酒することはありませんでしたが

夕方ナイトクラブの仕事の前に、家で気合を入れるために(と称して)

ウォッカを一気飲みして出かけていました。

もう完全なアル中なのですが当時は

「やめようと思えばいつでもやめられる」

と信じていました。

 

そして、28歳くらいのとき、すでに日本で生活していたのですが

同棲していた彼と別れ、それまで数年間は専業主婦生活のような

状態だったので、実家へ少しの間住まわせてもらうことになり

LA生活中に今までの過去を全て許せたと思っていたにも関わらず

暴力などのフラッシュバックが酷く出てしまい

狂ったような精神状態になってしまいました。


それまでは、日本へ戻りストレスから

摂食障害の嘔吐も再発し始めていたのですが

毎日アルコールと拒食または食べ吐きの毎日で、病院にもかかり

処方箋薬物依存も再発して、またLAへ家出する前と同じ状態より

アルコールも薬も手放せなくうつ病も酷くなり、どうにもならくなって

自殺を考える毎日になっていました。


この頃には、自分はアルコール依存症なのだと自覚していました。

最初は、うつ病で入院をしていた病院で飲酒してしまい

入退院を繰り返し、アルコール専門の病院へ送られましたが

そこでも、あっけなく飲酒してしまい強制退院になり

診てくれる病院もなくなりました。

最後には、入院はさせないことを条件に診察はしてくれる薬物や

アルコール依存症の専門の病院にかかりました。

うつ病の件で障害者年金を受けられることになり、一人暮らしを始め

家族とも離れて落ち着いて治療に専念することが出来てから

アルコール問題などの自助グループなどにも真面目に通い始め

とんとん拍子に3年断酒できましたが・・・・

 

その後に長い道のりが待っていたのです。

 

 

 

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